飲み会で、上司が肩を組んできた
以前在籍していた職場で、打ち上げの飲み会があったときのことでした。
その職場は、複数に、会社の立地が分かれていて、そのときは私のいた職場で、地域の住民も招待しての、大きなお祭りがあったため、普段は一緒に仕事をすることのない、他の部署の人々が、会社の場所を超えて参加した飲み会でした。
宴もたけなわとなった頃、私の直属の上司が、お酒の勢いにのり、体を密着させてきて、肩を組んできました。
私は驚きましたが、私がいた会社で最も偉い人であったため、その場では振り払うわけにもいかず、思わず、「困ったな」という気持ちで表情を無くし、真正面を向いてしまいました。
ありがたい対応
そのときに、やや距離は離れていたのですが、正面に座っていたのが、他の場所にある会社の人々でした。
その人たちも、明らかに、驚いた顔をしていて、とっさに「こっちにおいでよ」と、大きな声での発話と手招きで、私を呼び寄せてくれました。
これは、大変にありがたい対応でした。
私はすぐに「はい!」と、肩を組んできた男性上司や、周囲の人々にも聞こえる大きな声で、分かりやすく返事をして、彼らの席に移動しました。
「何をしてもセクハラと言われて、大変だよ」??
「今や、何をしてもセクハラと言われてしまうので、大変だよ。」という、社会人の声をよく耳にします。
しかし、今の日本の現状を日々学び、そして、例えば欧米ではお酒が入った席でも、その人物の行為は、社会人として、厳しく捉えられて認識されることが、常識となっている、などの世界の情勢にも、アンテナを張っていれば、何をしてもセクハラということはないと感じています。
セクハラを認識することは、その職場ごとの文化度と、つながっていると感じています。
軽く肩も叩けない、という言葉も聞きますが、肩に触れなくても、その肩に触れる行動に、匹敵するだけの声掛けは、幾通りも存在していると思うのです。
セクハラの撲滅を、目指す過程にこそ、意味がある
何がセクハラであるか?を理解することは、男女や、性的少数派と呼ばれる人々が置かれている、今の現状を理解することです。
そしてまた、話がセクハラからはややそれますが、何がパワハラか、を考えることは、人としてのモラルや、今の時代に合致した、リーダーシップを考えることでしょう。
セクハラを、大げさに論じる風潮はいただけませんが、何が、なぜ、セクハラであるのかに、真摯に向き合うことは、大きな意味があります。
先進国と言われながらも、男女の地位の差が、あまりに大きく離れてしまっている日本においては、セクハラの撲滅を目指す過程にこそ、意味があることなのだという気がします。